兵庫県三木市のスーパーブロガーの雑感日記さんが、私の高槻時代の「こちら部長室」のことを書いていただいています。
高槻時代は、一公務員で、それまで自分の考えを世に出すことはなかったのですが、
情報発信こそが情報収集の最善の近道と思って、自分の考えを出してきました。最初の半年は無反応でしたが、それから、かなり多くの賛成反対意見を頂きました。
恐らく、一公務員で、市の公式ホームページにじゃんじゃん意見を書いたのも、本格的なブログを持ったのは、日本で私が最初だったと思っています。
自分でも、あまり深く考えずに、どんどん思っていることを書いたのですが、初めて、
「これでいいんだ!」と背中を後押しをしていただいたのが、当時、全く見ず知らずの三木市の雑感日記さんでした。

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今日、何人かの市民の方から、偶然も偶然ですが、市長の高槻時代の「こちら部長室」のバックナンバーを読んでいるよ。市長の考えの原石がそこにあるね~、という意見が。
今は、正直言って、考える時間よりも、人から話を聞いて決断と行動の連続です。高槻時代やその前の沖縄時代は逆でした。あの頃は、割と時間的に余裕があったので、思索、思索の連続でした。
誰に教わったことではないんですが、物事を立体と捉えて、上下左右という異なる視点から複眼的に見ることだけは心がけていました。
30代前半。中身はともかく深く考えたことが、今の僕の行動を支えているような気がしています。
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昨日、
応援していた大阪府箕面市の倉田さんが、市長選に当選されました。不肖私から国定市長、そして、34歳の倉田さんが全国最年少市長。同世代の市長として、連携を深めていきたいと思っています。
国定市長や僕と同じマインドを持つ
倉田市長の誕生。おめでとうございます。