山口尚芳

山口尚芳さんをご存知ですか?下の名前は「ますか」と読みます。ここで分かった方はかなりの歴史通です。僕は最近、花島在住の方から教わり、びっくりしました。

この方、1839年(天保10年)に武内町で生まれ、今日、私が講演した高台の花島公民館の場所で育ち、長崎でオランダ語を、ついで英語を学びます。
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薩長同盟に尽力し、東京府知事(31歳のとき)などの要職をへて、33歳のときに、歴史の教科書に絶対に載っている岩倉具視米欧使節団の副使(副団長)として加わり、総勢107人の団員をまとめ上げ、その後、征韓論に反対したり、43歳のときに会計検査院院長、貴族院議員となった郷土の偉人です。
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(山口先輩は向かって左から二番目に立たれています。)


あまり資料が残っていないようですが、この山口先輩、歴史の大変転の過程で、大活躍だったと思います。どなたか、山口先輩の歴史小説を書いていただけないでしょうか(笑)。

使節団の名簿を見ると、10代・20代の若き志士も多数含まれています。

130年前、岩倉米欧使節団が出発するときの山口先輩が33歳。同年代の大久保利通公、伊藤博文公・・、命を賭けて国のために旅立った彼ら先人へ思いを致すとき、時代も次元も全く往時と異なりますが、また、がんばろうと思いました。
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話は変わりますが、政府の要職で占めた岩倉使節団、1年以上、米欧を視察していたわけで、よくもまあ、国内でクーデターが起きなかったなぁって妙なところで感心。この辺が潔さを大切にする武士道の名残だったのかなと勝手に想像しています。


今晩、花島公民館に集まっていただいた40人を超す皆さん、遅くまでありがとうございました。
by fromhotelhibiscus | 2006-03-17 22:53
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