家永先生

武雄で家永先生、家永塾といえば、「あ~あの塾ね。」という言葉が返ってくると思います。

今から25年!前、小学校6年生のときに、友人に連れられて、家永塾へ。当時の先生は既に80歳を超えても、矍鑠(かくしゃく)そのもの。かなり変わった寺子屋で、国語は漢詩、数学は因数分解、英語は基本文のみという極めて偏った教育内容(笑)。しかも、徹底的な暗記、暗記、暗記の連続でした。
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腕白坊主だった僕が異議を唱えても、耳を抓られるわ、火が出るように叩かれるわ、親も呼ばれるわ、一方で、戸の開け閉め、靴のそろえ方、礼儀作法まで徹底的に仕込まれました。これまた反抗していましたが、所詮は全く敵わず。

う~ん、何というか、今だったら存在し得ない塾だったわけです(笑)。理解はせずに暗記に頼りすぎて、県外高校受験は失敗、大学受験も最初は失敗という目にあいましたが、日本語の持つリズム感の凄さ、一流のもの(特に陶器、書)を見るという大切さは自然に体の中に入り込みました。これにはほとほと感謝しています。


風の便りで、山口県の施設にて先生がお亡くなりになったことを聞いていたわけですが、今日、私の先輩である家永塾OB(現在医者のSさん)から先生最期のことをお聞きしました。

今から7年位前、お見舞いに行ったときは、床の中で本を読まれておられた。そのとき、齢100。自分は逆に先生から「しっかりやれ!」と激励を受けて苦笑しながら帰ってきた。その後、たった二月で大樹がふっと倒れるように自然にお亡くなりになった。しかも、最も愛されたタヅ子夫人が亡くなられた直後に。


涙が零れ落ちるのと同時に、先生ご夫妻最期のご様子が分かり、ほっとしました。政治嫌いだった先生、今の僕のことをどう思われているだろうか。きっと天国で優しかったタヅ子夫人と苦笑いされておられるんだろうなと思いました。

お墓の場所も伺い、4月には必ず参ろうと思った一日でした。
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by fromhotelhibiscus | 2006-02-28 23:59
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