国会議員?

この頃、私へのご質問に「ひわたしさんは、市長の次は国会議員に出(ず)っとですか?」があります。
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おほめの言葉と解釈していますが、私は国会議員等への転進は一切考えていません。

僕自身、霞が関時代に、国会議員の皆さんとは一緒に仕事をしましたし、また、その役割もつぶさに見てきました。その上で、僕はこう思うんです。市長も(国会)議員も上下関係でなくて「役割」が違うものと。私は人生の選択として、首長を目指しています。


その理由に入る前に、首長は企画・立案の最高責任者。議会はその企画・立案を受けて承認する機関。

繰り返しになりますが、首長と議会はその果たす「役割」が違うと思っています。


では、なぜ、自分は首長を目指しているのか。以前、「なぜ、自分が帰郷したのか?(1)~(3)」に書きましたが、僕は夢のある政策の「企画、立案、そして実行」を市民の皆さんと一緒にしたいのです。

また、僕は郷土の大先輩・大隈重信公と江藤新平公のことを書きました

彼ら大先輩は、青雲の志を立てて中央(東京)に駆け上った。僕は、百数十年経った今、敬愛した今は亡き祖父の言葉、自分を育ててくれた郷土への感謝・郷土のご恩に報いるために中央から武雄に舞い戻りました。中央(東京)が武雄よりも上だという認識はもとより全く無いのです。
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一方で地方分権が急速に進む今日、もう、東京に平身低頭してお伺いを立てる時代でもないし、そういうことはあってはならない。今や地方自治体の首長は「経営者」でなくてはならない。古川知事、鳥取県の片山知事がその代表だと思っています。

新・武雄市の誕生に合わせ、私は市民の皆さんと一緒に夢のある政策を企画、立案し、実行したい。その中で、場合によっては10年以上かかる長期的な政策もあります。

愛する新・武雄市を全国の皆さんが羨むような町にしたいし、武雄は再三書いていますが、その潜在能力はあります。湯布院なんかに負けません。

だから、自分は首長論としても、その政策の実行、また、見届けるためにも、市民の審判が前提ですが、当然、複数の期やるべきものだと理解しています。したがって、「市長は腰掛、ステップ、名誉職」であってはならないものだと考えています。
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高槻で、沖縄でやってきたように、市民の皆さんに交わり、市民の皆さんと、この愛する故郷のために一緒に仕事をしたい。沖縄の僻地、高槻、東京でやったきた経験を元にこの土地で花を咲かせたい。文字通り、骨を埋める覚悟でいます。

長くなりました。ご意見、ご質問、お待ちしています。
by fromhotelhibiscus | 2006-02-22 23:59
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