近代化の先駆け〜武雄鍋島の洋学〜

毎日、仕事柄、主要紙は読み込みますが、僕が読んでいる中で、一番、尖っている社説が、西日本新聞。そして、今回は、武雄が誇る鍋島茂義公を取り上げているけど、ストーリー仕立てはこの新聞の中でも珍しい。何も付け加えることやさっ引くものもありません。ぜひ、ご覧ください。

佐賀藩は幕末から維新にかけて「薩長土肥」の一翼を担い、日本の近代化を先導した「雄藩」として知られる。中でも第10代藩主、鍋島直正(閑叟(かんそう)、1814~71)は、いち早く西洋文化を取り入れて、科学技術の導入や軍事の近代化を図るなど藩政改革に努めた。その直正に最も大きな影響を与えたのが、直正の義兄で佐賀藩の請役(うけやく)(家老)も務めた武雄鍋島家第28代領主の鍋島茂義(1800~62)である。

文化審議会が、佐賀県武雄市所有の「武雄鍋島家洋学関係資料」を国重要文化財(歴史資料)に指定するよう答申した。同市歴史資料館によると、江戸中期-幕末期(1720~1860年代)の資料で、大半は茂義の時代に収集されたという。当時としては最新のものばかりで、現存する類似資料も極めて少ないため、専門家の評価は高い。

特筆すべきは、2224点に及ぶ大量の資料が指定の対象となったことである。その中身も、18世紀のオランダ製地球儀や天球儀、大砲、蘭書、絵の具など実に多種多様だ。1835年に長崎の西洋砲術家高島秋帆(しゅうはん)らが製造した国産第1号の大砲「モルチール砲」など単独で重文級の資料も含まれている。文化審議会が関連資料を一括して指定対象にしたのは、日本が西洋の科学技術を取り込んできた歴史や幕末期の軍事史がより明確になると判断したためだろう。

「九州・佐賀の武雄」が、日本の近代化の先駆けとなったことを裏付ける点でも非常に興味深い。資料の中で特に注目したいのは、茂義が蘭学を導入した際の克明な記録が残る「長崎方控(かたひかえ)」だ。計5巻あったとされるが、1巻目は消失しており、2巻から5巻までの4冊が現存する。その内容も、興味をかき立てられる。例えば、2巻には「オルゴール付置時計」など多くの時計を買ったり、修理を頼んだりした記述がある。当時使われたと思われる実物の時計も市が保管している。

このため、専門家は「時計の内部を調べれば、日本人がどのような技術で時計を修理したかが分かる可能性がある。西洋の技術に立ち向かった江戸職人たちの貴重な証拠にもなる」と指摘する。医薬品や理化学実験機器など数万点の物品も登場し、蘭学書を訳して「液体の比重」を理解した形跡もうかがえる。リトマス試験紙を手に入れて酸性、アルカリ性のテストを重ね、試験紙の代用品も作らせていた。実験を通し、実践的に西洋の科学や文化を身に付けた様子が手に取るように分かる。

武雄鍋島家の洋学関係資料には「ものづくり日本」の原点が詰まっている-。そう言いたくなるような資料群だ。重文指定を機に、その保存とともに、さらなる研究の成果にも期待したい。

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by fromhotelhibiscus | 2014-03-24 20:42
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