当時7歳の娘へのメッセージとして、「生きていれば、恋をして家族を作って幸せになったと思います・・」

私は、今、仙台のホテルで、これを書いています。昨日は、陸前高田市で行われた追悼式にお招きを頂き、その後は、ハートタウンミッションⅡに参加。そして、被災の地を見て回りました。途中で、チーム武雄が実際にボランティアで頑張って頂いた地に。被災者の方とも再会。めまぐるしい一日でしたが、全てのことが強烈に印象に残っています。

その中で、思わず涙がこぼれたのが、追悼式での遺族代表の挨拶。「東日本大震災という名のこんちくしょう!」振り絞るようにして始まった遺族代表の小島幸久さんの発した冒頭の言葉。盟友・戸羽市長の友人で被災前は2軒隣の住民同士だったそうで、御両親と奥様、そして七歳の娘さんまでもを「こんちくしょう」に奪われてしまった方。

亡くなった当時7歳の娘へのメッセージとして、「亡くなった当時7歳の娘へのメッセージとして、「生きていれば、恋をして家族を作って幸せになったと思いますが、津波はそんな人生を奪い去りました。これから復興が進み劇的に変わっていくであろう街を一緒に見守りましょう」と切々と語られました。


僕らができること。被災された方、被災された地に対して、静かに、思いを持ち続けること。復興は長く辛い道のり。だから、僕らは、いつの日か動けるときに、熱く動く。一方で、今でもできることは、細くても頼りなくても良いから、連綿と続けること。

改めて、そう確信しました。これから、最初のチーム武雄で、2年前の5月に伺った、大震災の爪痕が色濃く残って、ご遺体の捜索が続いていた、仙台市若林区荒浜に伺います。この地で、静かに手を合わせ、頭を垂れます。そして、名取市閖上地区へ。今日中に武雄市に戻ります。では、行って参ります。
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by fromhotelhibiscus | 2013-03-11 09:41
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