学校の教員ってそんなに偉いのか

市民ランナーやっていると、そりゃまあ、いろんな声が入ってきます。走っている途中で、人生相談受けたりしますが、今日は、深刻。保護者や中学生が、僕のところにやってきて、「市長が付けてくれたクーラー、今日も付いていなかった。」と。

教育長、教育部長に確認したところ、学校に任せているとまるで他人事。校長の一人に確認したら、「クーラーが付いたのは、先週。中体連で良い成績が取れるように、クーラーは我慢させている。また、昨年の炎天下で倒れることになりかねないから。試し運転だけして一回もクーラーは稼働していない」と。

僕は珍しく激怒。本気で怒るのは、それこそ、4年に一度あるかないか。昔、医師会が、古賀医師会長名(まだ会長やっていますが)で、学校医の引き上げを新聞の折り込み広告に入れて脅迫したとき以来。僕は筋が通らないことは大嫌い。既得権益にしがみつく特権階級も唾棄したい。

クーラーについては、財政が厳しい中で、僕が議会に頭を下げて、子どもたちの教育環境のために実現させたもの。それを勝手にないがしろにしたことよりも、もっと怒ったのは、校長室や教員の職員室にはのうのうとクーラーが付いている事実。

あのね、子どもたち、生徒に我慢を強いるのであれば、自分たち、教員も同じようにしろよ。学校の教員ってそんなに偉いのか。しかも、今日は、武雄でも36℃を超し、子どもたちの教室での体感温度は、相当なはず。

今、大津のいじめ問題が全国的な問題となっていますが、元はといえば、生徒と教員との信頼関係の欠如もそこにあったと思っています。こんなクーラーの話って、ちっちゃな問題かもしれませんが、そういう問題が大きくなって大問題を引き起こすものと思っています。

どこかの市長のように、教育委員会や学校に責任を押し付けることはしません。すべてが統括代表権を有する市長である私の責任です。善処しない場合は、自分に処分を課したいと思います。当分、この怒りは収まりそうもありません。多くの生徒に対して、「クズ」などと呼びつける教師も許しません。その存在を知っているのに放置している学校や教育委員会は存在の意味がありません。

一事が万事。細事をゆるがせにすることは、教育の現場では、認めません。繰り返し言いますが、これが大事を引き起こすから。自分たちは職員室でクーラーの風を浴びているくせに、声を上げない教師も失格だ。生徒に媚びろとか次元の低いことを言っているわけではありません。

僕は、市長選の時、当時の担任や美術担当の教諭から、あろうことか、誹謗中傷を食らいました。全員の教師がそうだとは言いませんが、子どもたちのことを考えると、そのときを遙かに超す失望と悲しみを味わいました。

以上。
by fromhotelhibiscus | 2012-07-18 23:33
<< 一緒に熊本へ。ボランティア行こう! 「楽園のカンヴァス」は残念だった >>