これだけはぜひ読んで。

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陸前高田市における東日本大震災追悼式での、遺族代表・小島幸久さんのお言葉。

私は、これ以上痛切かつ愛情のこもった、そして、未来に対する希望を述べた言葉を他に知りません。後ろで聞いていた小池一哉武雄市議会被災地支援特別委員長も嗚咽されていました。


小島さんの言葉、そして、被災地の現況をつぶさに見て、改めて誓いました。細々としたものであっても、私は生のある限り、どのような立場に立とうと、被災地(者)支援を続けていこうと。そして、自分の言葉で発信していこうと。

また、来年の今日、僕一人じゃ心許ないので、武雄市の、そして、全国の心ある仲間と一緒に、陸前高田市、仙台市に伺いますし、それ以外でも時間を見つけて参ります。

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追悼のことば

もうあの日から二年の月日が流れ去りました。多くの犠牲者を生んだ「東日本大震災」という名のこんちくしょう。私はその日、家業である電気屋の仕事で、近くの新築工事現場で働いていました。その時、今まで体験したことのない、とてつもない揺れに靴もはかずに家の外に飛び出し、じっと揺れが収まるのを待ちました。

防災無線からは大津波警報が発令され、ただちに高台へ避難しなさいとの警告が、繰り返し、繰り返し鳴り響きました。工事現場が自宅のそばだった事もあり、私は走って自宅に戻り、家族の安全を確認し、あたりまえのように消防団活動へ向かいました。これが私と家族との最後の別れになるなんて、その時は考えもしませんでした。

二年前の明日、2011年3月11日、ほんの少し、まばたきをする間に、一年半前に新しく建てたばかりの自宅、仕事がら必要だった自動車達、そして愛すべき四人の家族。そのすべてが波と押し寄せた建物や車にのみ込まれました。

本日、この場にいる御遺族の皆様、それぞれ一人ひとりが、まったく違った境遇を背中に背負い、そしてそれぞれの想いを胸に追悼式に臨んでいることと思います。そのいろんな想いというものは、こんなちっぽけな私なんかにはとうてい想像もできません。

しかしながら、今回遺族代表という立場を仰せつかりましたので、私なりの言葉を、いまだ見つからない行方不明の方々や犠牲になり天に召されたその御霊たち、そして、残された私たち遺族に捧げます。
あなた達は生きたかったはずです。当時七歳のあなたは、やりたい事がいっぱい、いっぱいあったはずです。これからどんどん大きくなり、やがて恋をし、大好きな人と結ばれ、幸せな家庭を築いたはずです。

死というものは突然に訪れるものだなあと、痛感しました。だからこそ、今を生きている尊さを知ることができました。生きたかったあなた達を想うと、あなた達の分まで生き抜くという気持ちが心の底から湧いてきます。そしてあなたは、私の心の中にこれからもずっと生きています。

どうぞ私を見守っていてください。これからどんどん劇的に変わっていくでしょう、私たちの故郷陸前高田が一歩一歩前進する姿をいっしょに感じ取っていきましょう。最後に、震災後、私を支えてくれた多くの仲間たち、私の住む陸前高田を支えてくれた全国、世界中の仲間たちに感謝の気持ちを送ります。

東日本大震災で犠牲になられた皆様の御霊のやすらかなご冥福をお祈りします。

まだあの日からたった二年しかたっていません。未来はこれからだと思います。

平成二十五年三月十日
小 島 幸 久

by fromhotelhibiscus | 2013-03-11 23:31
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